この変な名前のある坂は、旧川越街道にあり、非常に緩やかに上る320mの長い坂道となっている。
しょっちゅうここを通るけれど、坂だと気づかないくらい。(特に車だと)
東武東上線上板橋駅の南口、上板南口銀座のほぼ端から端まであるようだ。
「ガッカラ」どこからきたのだろうか。
カタカナなので、日本語ではなさそうだ。
外来語か擬音?
予想してみよう。
私はこう考えた。ズバリがつ辛通り説
その昔、ある時代、第一次辛いものブームが巻き起こった。
この辺りでも、流行りにのった辛い店がひしめくように建っていた。
遠方からわざわざやってくる者も少なくなく、大変な盛り上がりをみせていた。
通りの中心には瓦版ならぬ、「辛い版」が建ち、この通りを通る人々はみな、この「辛い版」で情報収集をしたり、当時でいう、ランキングのようなものを楽しんでいた。
誰にも食べられなかった伝説の辛い料理、「侍辛子(サムライガラシ)」を食べ切った者は伝説と化し、「辛王(しんおう)」の名を欲しいままにしていたが、それはまた別のお話。
この通りにくる皆がどこの店の何が辛いかを噂し、またそれをとても楽しみにしていた。
いたるところで「〜の〜が辛い」という言葉を耳にする事から、当時の商店街組合が「がっ辛通り」と名付ける。
それが今のガッカラ通りであり、ガッ辛通りから今でも店を続けているのが、当時も今も抜群の人気を誇る上板橋に本店を構える「蒙古タンメン中本」だとは全く言われていない。
正解ははっきりした事は分かってないらしく、2説ありましたが、
1.埼玉や練馬・赤塚の農家の人達が、朝は暗い内から野菜などを市場に運んだ道で、荷車が「ガラガラ」と音をたてて通ったので、ガッカラ坂と呼ばれた。
2.長い坂なので「ガッカリ」したといい、ガッカラと訛って、この名が付いたともいう
という事でした。
惜しかったね、めでバシめでバシ。