西台の裏路地にひっそりと佇む「聖徳太子身代子安地蔵尊」
いったい何故ここにあるのか全くの謎である。
比較的新しい建物である事から、歴史があるわけではないのだろうか。
それとも、立て直しが行われたのであろうか。
子安地蔵尊は奈良県にあるようです。
聖徳太子が現存したかどうかはさておき、出生ははっきりと分かっていないようですが、奈良の方だとゆう説があるのでやはり縁のあるものなのでしょうか。
気になるのは「田端」の文字。
東京の田端であろうか。奈良に田端どころか関東自体がほとんど文献には出てこないようだし、聖徳太子と関係あるように思えない。
ちなみに天武天皇が関が原に関所「不破関」を置き、関より西を「関西」関より東を「関東」と呼ぶようになったらしい。
こちたに書いてある
天下和順 日月清明
とは 天下泰平を願って唱えたもの。
大乗妙典六十六部日本廻國
とは法華経を六十六部写経し、全国を巡って六十六か所の霊社霊仏に1部ずつ納めるというものだ。
しかし手掛かりにはならない。
しかしやはり立派なので、近所の人たちは知っているのかもしれない。